見ること
自分への戒めのために、
ここに書いておこう。
写真評論家の竹内万里子さんに写真を見てもらった。
とてもありがたいことだ。
そんなありがたい機会があったにも関わらず、
書かなかったのは、
効いていたからだ。
あまりにも美しく、丁寧に、穏やかに、鋭利に斬られたため、
昇天するまで、数日を要してしまった。
頂いたコメントを
ものすご〜く、要約すると、
夜の写真なのに、怖さを感じない。
(見ていただいたのは、夜を撮った白黒写真)
散歩する為に写真を撮っているように見える。
何も写っていない気がする。
語りかけてくるものが無い。
夜の写真自体、既視感がある。
5枚にしぼるとしたら?
(しぼってお見せすると)少し安心した。
なんか、おしい。
写真でなければ、ならない理由は?
夜だからこそ、徹底して見る。
もっと丁寧に。しっかり撮る。
といったところ。
全てお見通しだった。
アルルでもらったコメントが思い起こされる。
「ここには君しか写っていない。
Subjectを撮れ。」
あれから、考えていた。
「自分しか写っていなくて何が悪いのか?」
とも思った。
でも、
自分しか見えていなかったのではなく、
自分を見ていなかったのではないか?
そう。
おいらは、写真を撮ってる自分が好きで、
ローライで、何か撮りたいから、何か撮ってるだけだったんだ。
もっともっと、
その被写体は自分にとってなんなのか?
何故撮るのか?
何故この写真を選ぶのか?
何故スクエアなのか?
何故、何故、何故・・・?
おいらは、小器用な方なので、
後付けで理由付けするのは得意だ。
でもさ、
それじゃあ、な〜んにも写るわけない。
これって、生きることにも通じるハナシだ。
うすっぺらな自分しか写っていない、
うすっぺらな写真であってもいいと思う。
が、しかし、
もっともっともっと、そのうすっぺらな自分を見ていないと、
な〜んにも写らないんだ。
そんな思いつめて撮ることないんじゃない?
もっと気楽に楽しめば?
自己満足でいいんじゃない?
とも思う。
でも、そんな自分に気がついてしまったからには、
このままではいられない。
なあ、休日郎君よ。
目をそらして、とじこもっていたいなら、
口あたりがいい人生を送りたいなら、
いつまでも、カラオケボックスに閉じこもって唄っていればいいさ。
それじゃ、死んでいるのと変わらないけど。
それがいやなら、
自分と世界を、
よ〜く見るんだな。
例え、それが無様で不条理でな自分と世界だとしても、
もっともっと、広く、深く、見ていきたい・・・
そう思う。
※追記 レビューの様子
漂流者
Workshop2B